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  • 古井由吉の「水」で執筆脳を考える2

    2 「水」のLのストーリー 

     古井由吉(1937-2020)は、東京大学ドイツ文学科でドイツ文学を学び、30代半ばに内向の世代という作家としての地位を確立した。「水」をはじめ短編長編を通じて自分と個人の状況のみに自己の作品の真の反応を探求し、歴史や社会に制約された考えを解き放った。勝俣(1994)によると、当時の日本が目指した国家再建は、高度経済成長や大衆の社会化という結果をもたらし、増加した都市部の人々による新しい秩序を共生という認識下に形成した。
     また、「水」を執筆していた1973年頃、古井は、やや鬱の症状にあった。時代ごと躁の後に訪れた鬱の状態にあり、気分が塞ぎがちで、コップの中に静止した水と喉の渇きの中に様々な言葉の断片が現れる。うつ病の人は、睡眠障害がある。食欲不振、めまい、頭痛、口喝(喉の渇き)なども見られるため、「水」を介して死を意識している生命の不思議とか細胞膜の内外で死に繋がる原因がもたらす淫らな想いを抱く人間に関心があった。勝俣(1994)では、死のテーマが深まるとともに個に内向しきろうとする姿勢こそが古井由吉の特色になる。
     そのため、「水」の購読脳は、「生の渇きとコップの中に静止した水」にし、渇きを満たしながら言葉の断片を集めているため、執筆脳は「充足と意味のネットワーク(Semantic Network: SN)」にする。「水」のシナジーのメタファーは、「古井由吉と個への内向」である。 

    花村嘉英(2020)「古井由吉の『水』の執筆脳について」より

  • 古井由吉の「水」で執筆脳を考える1

    1 先行研究

     文学分析は、通常、読者による購読脳が問題になる。一方、シナジーのメタファーは、作家の執筆脳を研究するためのマクロに通じる分析方法である。基本のパターンは、まず縦が購読脳で横が執筆脳になるLのイメージを作り、次に、各場面をLに読みながらデータベースを作成し、全体を組の集合体にする。そして最後に、双方の脳の活動をマージするために、脳内の信号のパスを探す、若しくは、脳のエリアの機能を探す。これがミクロとマクロの中間にあるメゾのデータとなり、狭義の意味でシナジーのメタファーが作られる。この段階では、副専攻を増やすことが重要である。 
     執筆脳は、作者が自身で書いているという事実及び作者がメインで伝えようと思っていることに対する定番の読み及びそれに対する共生の読みと定義する。そのため、この小論では、トーマス・マン(1875-1955)、魯迅(1881-1936)、森鴎外(1862-1922)の執筆脳に関する私の著作を先行研究とする。また、これらの著作の中では、それぞれの作家の執筆脳として文体を取り上げ、とりわけ問題解決の場面を分析の対象にしている。さらに、マクロの分析について地球規模とフォーマットのシフトを意識してナディン・ゴーディマ(1923-2014)を加えると、“The Late Bourgeois World”執筆時の脳の活動が意欲と組になることを先行研究に入れておく。 
     筆者の持ち場が言語学のため、購読脳の分析の際に、何かしらの言語分析を試みている。例えば、トーマス・マンには構文分析があり、魯迅にはことばの比較がある。そのため、全集の分析に拘る文学の研究者とは、分析のストーリーに違いがある。文学の研究者であれば、全集の中から一つだけシナジーのメタファーのために作品を選び、その理由を述べればよい。なおLのストーリーについては、人文と理系が交差するため、機械翻訳などで文体の違いを調節するトレーニングが推奨される。
     なお、メゾのデータを束ねて何やら予測が立てば、言語分析や翻訳そして資格に基づくミクロと医学も含めたリスクや観察の社会論からなるマクロとを合わせて、広義の意味でシナジーのメタファーが作られる。

    花村嘉英(2020)「古井由吉の『水』の執筆脳について」より

  • 島崎藤村の「千曲川のスケッチ」に見るバラツキについて7

    3 まとめ
     
     リレーショナル・データベースの数字及びそこから求めた標準偏差により、「千曲川のスケッチ」に関して部分的ではあるが、既存の分析例が説明できている。従って、この小論の分析方法、即ちデータベースを作成する文学研究は、データ間のリンクなど人の目には見えないものを提供してくれるため、これまでよりも客観性を上げることに成功している。
     この種の実験は、およそ100人の作家で試みがある。その際、日本人と外国人60人対40人、男女比4対1、ノーベル賞作家30人を目安に対照言語が独日であることから非英語の比較を意識して、できるだけ日本語以外で英語が突出しないように心掛けている。 

    【参考文献】

    花村嘉英 計算文学入門-Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風舎 2005
    花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品-魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社 2015
    花村嘉英 日语教育计划书-面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用 日本語教育のためのプログラム-中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで 南京東南大学出版社 2017
    花村嘉英 从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默 ナディン・ゴーディマと意欲 華東理工大学出版社 2018
    島崎藤村 千曲川のスケッチ 新潮文庫 2004

  • 島崎藤村の「千曲川のスケッチ」に見るバラツキについて6

    2.2 標準偏差による分析

     グループA、グループB、グループC、グループDそれぞれの標準偏差を計算する。その際、場面1、場面2、場面3の特性1と特性2のそれぞれの値は、質量ではなく指標であるため、特性の個数を数えて算術平均を出し、それぞれの値から算術平均を引き、その2乗の和集合の平均を求め、これを平方に開いていく。
    求められた各グループの標準偏差の数字は、何を表しているのだろうか。数字の意味が説明できれば、分析は、一応の成果が得られたことになる。 

    ◆グループA:五感(1視覚と2その他)
    場面1(特性1、5個と特性2、0個)の標準偏差は、0となる。
    場面2(特性1、4個と特性2、1個)の標準偏差は、0.4となる。
    場面3(特性1、1個と特性2、4個)の標準偏差は、0.4となる。
    【数字からわかること】
    場面1、場面2、場面3を通して、視覚情報が多いため、「千曲川のスケッチ」は、五感の中で視覚の情報が鍵になる作品といえる。

    ◆グループB:ジェスチャー(1直示と2隠喩)
    場面1(特性1、5個と特性2、0個)の標準偏差は、0となる。
    場面2(特性1、4個と特性2、1個)の標準偏差は、0.4となる。
    場面3(特性1、3個と特性2、2個)の標準偏差は、0.49となる。
    【数字からわかること】
    「千曲川のスケッチ」は、信濃の自然や文化をスケッチした作品であるため、各場面を通して、隠喩が少ないことがわかる。

    ◆グループC:情報の認知プロセス(1旧情報と2新情報)
    場面1(特性1、1個と特性2、4個)の標準偏差は、0.4となる。
    場面2(特性1、0個と特性2、5個)の標準偏差は、0となる。
    場面3(特性1、2個と特性2、3個)の標準偏差は、0.49となる。
    【数字からわかること】
    場面1、場面2、場面3を通して、新情報が多いため、ストーリーがテンポよく展開していることがわかる。

    ◆グループD:情報の認知プロセス(1問題解決と2未解決)
    場面1(特性1、4個と特性2、1個)の標準偏差は、0.4となる。
    場面2(特性1、4個と特性2、1個)の標準偏差は、0.4となる。
    場面3(特性1、3個と特性2、2個)の標準偏差は、0.49となる。
    【数字からわかること】
    島崎藤村は、「千曲川のスケッチ」執筆中、場面の最後で問題解決を試みていることから、場面単位で作品の構成を考えている。

    花村嘉英(2020)「島崎藤村の『千曲川のスケッチ』から見えてくるバラツキについて」より

  • 島崎藤村の「千曲川のスケッチ」に見るバラツキについて5

    場面3 山に住む人々

     一体にこの山国では学者を尊重する気風がある。小学校の教師でも、他の地方に比べると、比較的好い報酬を受けている。又、社会上の位置から言っても割合に尊敬を払われている。その点は都会の教育家などの比でない。新聞記者までも「先生」として立てられる。A2、B1、C2、D1

     長野あたりから新聞記者を聘へいして講演を聴くなぞはここらでは珍しくない。何か一芸に長じたものと見れば、そういう人から新智識を吸集しようとする。小諸辺のことで言ってみても、名士先生を歓迎する会は実に多い。あだかも昔の御関所のように、そういう人達の素通りを許さないという形だ。A2、B1、C1、D1

     御蔭で私もここへ来てから種々いろいろな先生方の話を拝聴することが出来た。故福沢諭吉氏も一度ここを通られて、何か土産話を置いて行かれたとか。その事は私は後で学校の校長から聞いた。朝鮮亡命の客でよく足を留めた人もある。旅の書家なぞが困って来れば、相応に旅費を持たせて立たせるという風だ。概して、軍人も、新聞記者も、教育家も、美術家も、皆な同じように迎えらるる傾きがある。A2、B1、C1、D1

     こうした熱心な何もかも同じように受入れようとする傾きは、一方に於いて一種重苦しい空気を形造っている。強しいて言えば、地方的単調……その為には全く気質を異にする人でも、同じような話しか出来ないようなところがある。A2、B2、C2、D2

     それから佐久あたりには殊に消極的な勇気に富んでいる人を見かける。ここには極くノンキな人もいるが又非常に理窟ッぽい人もいる。A1、B2、C2、D2

    花村嘉英(2020)「島崎藤村の『千曲川のスケッチ』から見えてくるバラツキについて」より

  • 島崎藤村の「千曲川のスケッチ」に見るバラツキについて4

    場面2 炬燵話

     私が君に山上の冬を待受けることの奈様に恐るべきかを話した。しかしその長い寒い冬の季節が又、信濃に於ける最も趣の多い、最も楽しい時であることをも告げなければ成らぬ。A1、B2、C2、D1

     それには先ず自分の身体のことを話そう。そうだ。この山国へ移り住んだ当時、土地慣れない私は風邪を引き易やすくて困った。こんなことで凌しのいで行かれるかと思う位だった。実際、人間の器官は生活に必要な程度に応じて発達すると言われるが、丁度私の身体にもそれに適したことが起って来た。次第に私は烈しい気候の刺激に抵抗し得るように成った。東京に居た頃から見ると、私は自分の皮膚が殊に丈夫に成ったことを感ずる。 A2、B1、C2、D1

     私の肺は極く冷い山の空気を呼吸するに堪えられる。のみならず、私は春先まで枯葉の落ちないあの椚林を鳴らす寒い風の音を聞いたり、真白に霜の来た葱畠を眺めたりして、屋の外を歩き廻る度に、こういう地方に住むものでなければ知らないような、一種刺すような快感を覚えるように成った。A2、B1、C2、D1

     草木までも、ここに成長するものは、柔い気候の中にあるものとは違って見える。多くの常磐樹の緑がここでは重く黒ずんで見えるのも、自然の消息を語っている。試みに君が武蔵野辺の緑を見た眼で、ここの礫地に繁茂する赤松の林なぞを望んだなら、色相の相違だけにも驚くであろう。A1、B1、C2、D2

     ある朝、私は深い霧の中を学校の方へ出掛けたことが有った。五六町先は見えないほどの道を歩いて行くと、これから野面へ働きに行こうとする農夫、番小屋の側にションボリ立っている線路番人、霧に湿りながら貨物の車を押す中牛馬の男なぞに逢った。そして私は――私自身それを感ずるように――この人達の手なぞが真紅まっかに腫るほどの寒い朝でも、皆な見かけほど気候に臆してはいないということを知った。
    A1、B1、C2、D1

    花村嘉英(2020)「島崎藤村の『千曲川のスケッチ』から見えてくるバラツキについて」より

  • 島崎藤村の「千曲川のスケッチ」に見るバラツキについて3

    2  場面のイメージを分析する

    2.1 データの抽出

     作成したデータベースから特性が2つあるカラムを抽出し、標準偏差によるバラツキを調べてみる。例えば、A:五感(1視覚と2それ以外)、B:ジェスチャー(1直示と2隠喩)、C:情報の認知プロセス(1旧情報と2新情報)、D:情報の認知プロセス(1問題解決と2未解決)というように文系と理系のカラムをそれぞれ2つずつ抽出する。

    場面1 烏帽子山麓の牧場
     
     水彩画家B君は欧米を漫遊して帰った後、故郷の根津村に画室を新築した。以前、私達の学校へは同じ水彩画家のM君が教えに来てくれていたが、M君は沢山信州の風景を描いて、一年ばかりで東京の方へ帰って行った。今ではB君がその後をうけて生徒に画学を教えている。B君は製作の余暇に、毎週根津村から小諸まで通って来る。A1、B1、C2、D1
     
     土曜日に、私はこの画家を訪ねるつもりで、小諸から田中まで汽車に乗って、それから一里ばかり小県の傾斜を上った。根津村には私達の学校を卒業したOという青年が居る。Oは兵学校の試験を受けたいと言っているが、最早もう一人前の農夫として恥しからぬ位だ。私はその家へも寄って、Oの母や姉に逢った。Oの母は肥満した、大きな体格の婦人で、赤い艶々とした頬の色なぞが素樸な快感を与える。A1、B1、C2、D2
     
     一体千曲川の沿岸では女がよく働く、随がって気性も強い。恐らく、これは都会の婦人ばかり見慣れた君なぞの想像もつかないことだろう。私は又、この土地で、野蛮な感じのする女に遭遇であうこともある。Oの母にはそんな荒々しさが無い。何しろこの婦人は驚くべき強健な体格だ。Oの姉も労働に慣れた女らしい手を有もっていた。A1、B1、C1、D1

     私はB君や、B君の隣家の主人に誘われて、根津村を見て廻った。隣家の主人はB君が小学校時代からの友達であるという。パノラマのような風光は、この大傾斜からほしいままに望むことが出来た。遠く谷底の方に、千曲川の流れて行くのも見えた。A1、B1、C2、D1

     私達は村はずれの田圃道を通って、ドロ柳の若葉のかげへ出た。谷川には鬼芹などの毒草が茂っていた。小山の裾を選んで、三人とも草の上に足を投出した。そこでB君の友達は提て来た焼酎を取出した。この草の上の酒盛の前を、時々若い女の連つれが通った。草刈に行く人達だ。A1、B1、C2、D1

    花村嘉英(2020)「島崎藤村の『千曲川のスケッチ』から見えてくるバラツキについて」より

  • 島崎藤村の「千曲川のスケッチ」に見るバラツキについて2

    1.2 標準偏差

     標準偏差は、グループの全ての値によってバラツキを決めていく。グループの個々の値から算術平均がどれだけ離れているのかによって、バラツキの大きさが決まる。
     グループd(1、1、4、7、7)の算術平均は4である。それぞれの値から算術平均を引くと、1-4=-3、1-4=-3、4-4=0、7-4=3、7-4=3となる。この算術平均から離れている大きさを平均してやると、バラツキの目安が求められる。しかし、-3、-3、0、3、3を全部足すと0になるため、さらに工夫が必要になる。
     例えば、絶対値をとる方法とか値を2乗してマイナスの記号を取る方法がある。2乗した場合、9、9、0、9、9となり、平均値を求めると、5で割って7.2となる。但し、元の単位がcmのときに、2乗すればcm2となるため、7.2を開いて元に戻すと、√7.2 cm2≒2.68 cmというバラツキの大きさになる。
     
    (1) 標準偏差の公式
    σ=√Σ (Xi-X)2/n

     次にグループe(1、4、4、4、7)について見てみよう。算術平均は4である。それぞれの値から算術平均を引くと、1-4=-3、4-4=0、4-4=0、4-4=0、7-4=3となる。この算術平均から離れている大きさを平均すると、バラツキの目安が求められる。しかし、-3、0、0、0、3を全部足すと0になるため、それぞれを2乗して、9、0、0、0、9として平均値を求め、5で割って3.6を求める。
     但し、元の単位がcmのときに2乗すれば、cm2となるため、3.6を開いて元に戻すと、√3.6 cm2≒1.90 cmというバラツキの大きさになる。従って、グループdの方がグループeよりもバラつきが大きいことになる。
    以下では、標準偏差(1)の公式を使用して、作成した島崎藤村の「千曲川のスケッチ」のデータに関するバラツキから見えてくる特徴を考察していく。 

    花村嘉英(2020)「島崎藤村の『千曲川のスケッチ』から見えてくるバラツキについて」より

  • 島崎藤村の「千曲川のスケッチ」に見るバラツキについて1

    1 簡単な統計処理

    1.1 データのバラツキ

     グループa(5、5、5、5、5)とグループb(3、4、5、6、7)とグループc(1、3、5、7、9)は、算術平均がいずれも5であり、また中央値(メジアン)も同様に5である。算術平均やメジアンを代表値としている限り、この3つのグループは差がないことになる。しかし、バラツキを考えると明らかに違いがある。グループaは、全てが5のため全くバラツキがない。グループbは、5が中心にあり3から7までばらついている。グループcは、1から9までの広範囲に渡ってバラツキが見られる。グループbのバラツキは、グループcのバラツキよりも小さい。  
     次に、グループd(1、1、4、7、7)とグループe(1、4、4、4、7)だと、どちらのバラツキが大きいことになるのだろうか。グループdは、中心の4から3も離れた所に4つの値がある。グループeは、中心に3つの値があって、そこから3離れたところに値が2つある。 
     バラツキの大きさを定義する方法で最も有名なのが、レンジと標準偏差である。レンジはグループの最大値から最小値を引くことにより求めることができる。グループdは、7-1=6で、グループeも7-1=6となる。レンジだけでバラツキを定義すれば、グループdとグループeは同じことになるが、グループ内の最大値と最小値だけを問題にするため、他の値が疎かになっている。そこでもう一つのバラツキに関する定義、標準偏差について見てみよう。

    花村嘉英(2020)「島崎藤村の『千曲川のスケッチ』から見えてくるバラツキについて」より

  • ペーター・ハントケの「幸せではないが、もういい」で執筆脳を考える-実母のうつ病10

    結果
     言語の認知の出力「母の半生と精神疾患」が情報の認知の入力となり、まず母マリアに反応する。次に、マリアの症状が情報の認知で新情報となり、結局、マリアが自分の居場所を理解し、貧しいことは、綺麗で高潔であることに気づき、清潔が貧しい人たちを社会で受け入れられるようにしてくれるため、「母の半生と精神疾患」は、「記憶と感情」からなる組みと相互に作用する。
     記憶については、A、B、C、D、Eいずれも長期記憶である。この場面では作者の記憶と感情が貧窮の中で出産する母マリアの気分障害に関する病前性格と相互に作用するため、ハントケの執筆脳は、感情の縺れに特徴がある。 

    5 まとめ 
     
     受容の読みによる「母の半生と精神疾患」という出力は、すぐに共生の読みの入力となる。続けて、データベースの問題解決の場面を考察すると、「記憶と感情」という人間の脳の活動と結びつき、その後、信号のフォーカスは、購読脳の出力のポジションに戻る。この分析を繰り返すことにより、「ペーター・ハントケと感情の縺れ」というシナジーのメタファーが見えてくる。
     この種の実験をおよそ100人の作家で試みている。その際、日本人と外国人60人対40人、男女比4対1、ノーベル賞作家30人を目安に対照言語が独日であることから非英語の比較を意識してできるだけ日本語以外で英語が突出しないように心掛けている。 

    参考文献

    日本成人病予防協会監修 健康管理士一般指導員受験対策講座3 心の健康管理 ヘルスケア出版 2014
    花村嘉英 計算文学入門-Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風舎 2005
    花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品-魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社 2015 
    花村嘉英 日语教育计划书-面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用 日本語教育のためのプログラム-中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで 東南大学出版社 2017
    花村嘉英 从认知语言学的角度浅析纳丁/戈迪默 ナディン・ゴーディマと意欲 華東理工大学出版社 2018
    花村嘉英 川端康成の「雪国」に見る執筆脳について-「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 中国日语教学研究会上海分会論文集 華東理工大学出版社 2019 
    Peter Handke Wunschloses Unglück Suhrkamp 2019
    Peter Handke Wikipedia
    Wunschloses Unglück von Peter Handke Wikipedia