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  • ラフ集合からThomas Mannの「魔の山」を考える2

    2 「計算文学入門」の概要

     本書は、タイトルにもあるように計算文学の入門編という位置づけである。計算文学は、人文科学と情報科学によるシナジー効果を探るための研究分野の一つと言える。しかし、闇雲に勉強したところで、マージなどできるはずがない。まず、スタートラインに立つために、ポイントとなる組み合わせを探る必要がある。周知のように、人間とコンピュータの間にロジックを立てることは標準となっており、「Thomas Mannはファジーネス」といった組み合わせを見つけることができれば、仮に既に亡くなってしまった作家の分析をコンピュータ上で行う場合でも、結合や比較といった単体的な処理ではなく、マージのための方向性を規定することができる。無論、言語系のロジックは、システム系と仕組みが異なるため緩衝材が必要となる。
    Thomas MannのイロニーとZadehのファジー理論は、それぞれ次のように定義されている。

    Baumgart(1964:22)によるThomas Mannの「イロニー」の定義。
    ”Als die Bedingung seines Prosas hält Thomas Mann immer die Distanz zur Wirklichkeit, einmal um sie so genau wie möglich zu betrachten, einmal sie zu kritisieren, das heißt ironisch. …Die kritische Distanz könnte zu einer ironischen Distanz werden. Tatsächlich ist der kritischen Prägnanz eine Art Grenze gesetzt, die aus der Beschaffenheit des sprachlichen Medium selbst dem Bedürfnis nach einer restlos präzisierten Begriffssprache entgegenwirkt.”
    「Thomas Mannは、散文の条件として常に現実から距離をとる。一つには、現実をできるだけ正確に考察するために、また一つには、それを批判するために、つまり、イロニー的に。・・・この批判的な距離は、イロニー的な距離となるであろう。実際、批判的な表現上の簡潔さには、余すところなく正確に規定された概念言語の要求に対して、言語媒体そのものの特徴から反対の行動をとるある種の制限が設けられている。」

    Yager et al(1987: 23)によるZadehの「ファジー理論」の定義。
    ”There is an incompatibility between precision and complexity. As the complexity of a system increases, our ability to make precise and yet non-trivial assertions about its behavior diminishes. For example, it is very difficult to prove a theorem about the behavior of an economic system that is of relevance to real-world economics.”
    「正確さと複雑さは、両立が困難である。システムの複雑さが増すと、その振舞いについて正確ではっきりとした主張はできなくなってくる。例えば、現実の経済と関連したシステムの振舞いを推測することは、大変に難しい。」

     双方の定義間にあるギャップを埋めるために、言語系とシステム系の論理をつなぐ緩衝材として論理文法を使用する。(詳細については、「計算文学入門」の第2章「論理文法の基礎」を参照すること。) 論理文法は、小史を兼ねてHPSG(Head Driven Phrase Structure Grammar)、Montague Grammar、DRT(Discourse Representation Theory)、直感主義の論理などを経てファジー理論へと進んで行く。その際、Richard Montague による言語分析(PTQ)とThomas Mannの「魔の山」をマージすることにより、何か異質のもの(ここではファジー推論)を引き出せるかどうかがポイントとなる。つまり、Thomas Mannのイロニーを形式論によって記述する場合、ファジー推論を選択することが現状ではベストであるという結論を探っていく。
     「魔の山」からの分析は、上述したイロニー的な距離が問題となる。特に、主人公のHans CastorpとChaucha夫人との距離、さらに、ダボスの療養所に勤務する医者のDr. Krokowski(Behrens院長の助手)を仲介としたHans Castorpと甥のJoachim Ziemßen との距離が問題となっている。距離を測定するために、ファジー化、ファジー推論および脱ファジー化という技法が使われる。また、推論の基礎をなす記憶についても言及がある。(詳細については、「計算文学入門」の第3章「やさしい曖昧な数学」を参照すること。)

    花村嘉英 (2017)「ラフ集合でThomas Mannの「魔の山」を考える-テキストマイニングのトレーニング」より

  • ラフ集合からThomas Mannの「魔の山」を考える1

    1 はじめに

     Thomas Mann(1875-1955)の「魔の山」(Der Zauberberg)は、1924年、Fischer Verlagから出版され、評論、翻訳、テキスト言語学、映画といった主に文系の分野で研究がなされてきた。しかし、ここでは、この作品を計算文学というシナジーの領域で考察していく。出発点は、「計算文学入門」の中で説明したThomas Mannのイロニーとファジー推論の整合性の良さである。それをベースにスイスのダボスにあるサナトリウムの患者について表形式のデータを作成し、その一部を平易なラフ集合の概念に基づいて分析していく。「計算文学入門」は、記号論理を用いてThomas Mann のイロニーを分析しているが、 Zadeh自身がシステム系のファジー理論を言語系にアレンジしたように、本稿では、ラフ集合を言語系にアレンジしながらデータを処理していくため、テキストマイニングのトレーニングとしての位置づけもある。

    花村嘉英 (2017)「ラフ集合でThomas Mannの「魔の山」を考える-テキストマイニングのトレーニング」より

  • 谷崎純一郎の「盲目物語」で執筆脳を考える8

    4 まとめ  

     谷崎純一郎の執筆時の脳の活動を調べるために、まず受容と共生からなるLのストーリーを文献により組み立てた。次に、「盲目物語」のLのストーリーをデータベース化して、最後に特定したところを実験で確認した。そのため、テキスト共生によるシナジーのメタファーについては、一応の研究成果が得られている。
     この種の実験をおよそ100人の作家で試みがある。その際、日本人と外国人60人対40人、男女比4対1、ノーベル賞作家30人を目安に対照言語が独日であることから非英語の比較を意識してできるだけ日本語以外で英語が突出しないように心掛けている。 

    参考文献

    谷崎純一郎 盲目物語(解説 井上靖) 新潮文庫 2002
    日本成人病予防協会 健康管理士一般指導員受験対策講座テキスト3 ヘルスケア出版 2014
    花村嘉英 計算文学入門-Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風社 2005
    花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品-魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社2015
    花村嘉英 日语教育计划书-面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用 日本語教育のためのプログラム-中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで 南京東南大学出版社 2017
    花村嘉英 从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默-ナディン・ゴーディマと意欲 華東理工大学出版社 2018
    花村嘉英 シナジーのメタファーの作り方-トーマス・マン、魯迅、森鴎外、ナディン・ゴーディマ、井上靖 中国日語教学研究会上海分会論文集 2018
    花村嘉英 川端康成の「雪国」に見る執筆脳について-「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 中国日語教学研究会上海分会論文集 2019
    花村嘉英 社会学の観点からマクロの文学を考察する-危機管理者としての作家について 中国日語教学研究会上海分会論文集 2020

  • 谷崎純一郎の「盲目物語」で執筆脳を考える7

    表3 情報の認知

    A 表2と同じ。 情報の認知1 2、情報の認知2 2、情報の認知3 1
    B 表2と同じ。 情報の認知1 2、情報の認知2 2、情報の認知3 1
    C 表2と同じ。 情報の認知1 2、情報の認知2 2、情報の認知3 1
    D 表2と同じ。 情報の認知1 2、情報の認知2 2、情報の認知3 1
    E 表2と同じ。 情報の認知1 2、情報の認知2 2、情報の認知3 1

    A:情報の認知1は②グループ化、情報の認知2は②新情報、情報の認知3は②問題未解決から推論へである。
    B:情報の認知1は②グループ化、情報の認知2は②新情報、情報の認知3は②問題未解決から推論へである。
    C:情報の認知1は②グループ化、情報の認知2は②新情報、情報の認知3は②問題未解決から推論へである。
    D:情報の認知1は②グループ化、情報の認知2は②新情報、情報の認知3は②問題未解決から推論へである。
    E:情報の認知1は②グループ化、情報の認知2は②新情報、情報の認知3は②問題未解決から推論へである。

    結果
     
     谷崎純一郎は、この場面で信長が長政を攻め滅ぼすこととお市の方が信長のもとに帰ることを同時に伝えようとしている。そのため、「喜怒哀楽と悲運」と「感情と伝承」という組が相互に作用する。   

    花村嘉英(2020)「谷崎純一郎の『盲目物語』の執筆脳について」より

  • 谷崎純一郎の「盲目物語」で執筆脳を考える6

    【連想分析2】

    情報の認知1(感覚情報)  
     感覚器官からの情報に注目することから、対象の捉え方が問題になる。また、記憶に基づく感情は、扁桃体と関係しているため、条件反射で無意識に素振りに出てしまう。このプロセルのカラムの特徴は、①ベースとプロファイル、②グループ化、③条件反射である。
     
    情報の認知2(記憶と学習)  
     外部からの情報を既存の知識構造へ組み込む。この新しい知識はスキーマと呼ばれ、既存の情報と共通する特徴を持っている。未知の情報は、またカテゴリー化される。このプロセスは、経験を通した学習になる。このプロセルのカラムの特徴は、①旧情報、②新情報である。

    情報の認知3(計画、問題解決、推論)  
     受け取った情報は、計画を立てるプロセスでも役に立つ。その際、目的に応じて問題を分析し、解決策を探っていく。しかし、獲得した情報が完全でない場合は、推論が必要になる。このプロセルのカラムの特徴は、①計画から問題解決へ、②問題未解決から推論へである。

    花村嘉英(2020)「谷崎純一郎の『盲目物語』の執筆脳について」より

  • 谷崎純一郎の「盲目物語」で執筆脳を考える5

    分析例

    1 お市の方が信長のもとに戻る場面。   
    2 この小論では、「盲目物語」の購読脳を「喜怒哀楽と悲運」と考えているため、意味3の思考の流れ、悲運のありなしに注目する。  
    3 意味1①視覚②聴覚③味覚④嗅覚⑤触覚 、意味2 ①喜②怒③哀④楽、意味3悲運①あり②なし、意味4振舞い ①直示②隠喩   
    4 人工知能 ①感情、②伝承 

    テキスト共生の公式

    ステップ1:意味1、2、3、4を合わせて解析の組「喜怒哀楽と悲運」を作る。
    ステップ2:長政を攻め滅ぼすもお市の方が信長のもとに帰る場面は、後世に語り継がれているため、「感情と伝承」という組を作り、解析の組と合わせる。

    A:②聴覚+③哀+①悲運あり+①直示という解析の組を、①感情あり+②伝承なしという組と合わせる。
    B:②聴覚+③哀+①悲運あり+①直示という解析の組を、①感情あり+②伝承なしという組と合わせる。
    C:②聴覚+①喜+②悲運なし+①直示という解析の組を、①感情なし+②伝承ありという組と合わせる。 
    D:②聴覚+[①喜+③哀]+①悲運あり+①直示という解析の組を、①感情あり+②伝承なしという組と合わせる。
    E:②聴覚+③哀+①悲運あり+①直示という解析の組を、①感情あり+②伝承なしという組と合わせる。

    結果  表2については、テキスト共生の公式が適用される。

    花村嘉英(2020)「谷崎純一郎の『盲目物語』の執筆脳について」より

  • 谷崎純一郎の「盲目物語」で執筆脳を考える4

    【連想分析1】

    表2 受容と共生のイメージ合わせ

    お市が信長のもとに戻る

    A ながまさ公は御のりものゝきわまでおみおくりに出られまして、そのあさはもうこれを最後の御しょうぞくで、くろいとおどしのおんよろいにきんらんの袈裟をかけていらしったそうでござります。いよ/\おのりものをかき上げますとき、「ではあとをたのんだぞ、たっしゃでくらせよ」とおことばをおかけになりましたのがゆうきのはりきったさわやかなおこえでござりました。おくがたも「おこゝろおきのう御りっぱなおはたらきを」と、気じょうにおっしゃって、おんなみだをおみせにならずに、じっとがまんをなされましたのはさすがでござります。 意味1 2、意味2 3、意味3 1、意味4 1、感情伝承1

    B すえのおふたりのひめぎみたちは西もひがしもおわかりにならぬほどでござりましたから、お乳の人の手におだかれになって、なんのことゝも夢中でいらっしゃいましたけれども、おちゃ/\どのはてゝごの方をふりかえり/\、いやじゃ/\ときつうおむずかりになりまして、なか/\なだめすかしてもお泣きやみになりませんので、お供のひと/″\はそれをみるのが何よりつろうござりました。
    意味1 2、意味2 3、意味3 1、意味4 1、感情伝承1

    C この姫たちが三人ながらのちに出世をあそばして、お茶々どのが淀のおん方、おはつどのが京極さいしょうどのゝおん奥方常高院どの、いちばんすえの小督どのが忝くもいま将軍家のみだいでおわしますことを、だれがそのときおもいましたでござりましょう。かえす/″\も御運の末はわからぬものでござります。
    意味1 2、意味2 1、意味3 2、意味4 1、感情伝承2

    D のぶなが公はおいちどのや姪御たちをお受けとりになりますと、たいそうおよろこびになりまして「ようふんべつして出て来てくれた」と、ねんごろに仰っしゃって、「あさいにもあれほどことばをつくして降参をすゝめたのに、どこまでもきゝ入れないのは、あっぱれ名をおしむ武士とみえた、あれを死なすのはじぶんのほんいでないけれども、ゆみやとる身の意地であるからかんにんしてもらいたい、そなたもながのろうじょうでさぞくろうをしたことだろう」と、そこは骨肉のおんあいだがらゆえ御じょうあいもかくべつで、わけへだてないおものがたりがござりまして、すぐに織田こうずけの守どのへおあずけなされて、よくいたわってとらせるようにとの御諚でござりました。意味1 2、意味2 1+3、意味3 1、意味4 1、感情伝承1

    E いくさの方は二十七にちのあさからやんでおりましたが、おいちどのをわたしたうえはもはや猶予することはない、しろをひといきにもみつぶして浅井おやこに腹をきらせるばかりだと、のぶなが公おんみずから京極つぶら尾というところへおのぼりになってそうぐんぜいに下知をなされ、ひらぜめにせめおとせとおっしゃいましたので、えい、えい、おう、と、寄せ手はすさまじい鬨ときのこえをあげて責めにかゝったのでござります。意味1 2、意味2 3、意味3 1、意味4 1、感情伝承1

    花村嘉英(2020)「谷崎純一郎の『盲目物語』の執筆脳について」より

  • 谷崎純一郎の「盲目物語」で執筆脳を考える3

    3 データベースの作成・分析

     データベースの作成法について説明する。エクセルのデータについては、列の前半(文法1から意味5)が構文や意味の解析データ、後半(医学情報から人工知能)が理系に寄せる生成のデータである。一応、L(受容と共生)を反映している。データベースの数字は、登場人物を動かしながら考えている。
     こうしたデータベースを作る場合、共生のカラムの設定が難しい。受容は、それぞれの言語ごとに構文と意味を解析し、何かの組を作ればよい。しかし、共生は、作家の知的財産に基づいた脳の活動が問題になるため、作家ごとにカラムが変わる。

    【データベースの作成】

    表1 「盲目物語」のデータベースのカラム

    文法1 名詞の格 谷崎純一郎の助詞の使い方を考える。
    文法2 ヴォイス 能動、受動、使役。
    文法3 テンス、アスペクト 現在、過去、未来、進行形、完了形。
    文法4 モダリティ 可能、推量、義務、必然。
    意味1 五感 視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚。
    意味2 喜怒哀楽 喜びや怒り。
    意味3 悲運 あるなし。
    意味4 振舞い ジェスチャー、身振り。直示と隠喩を考える。
    医学情報 病跡学との接点 受容と共生の共有点。構文や意味の解析から得た組「喜怒哀楽と悲運」と病跡学でリンクを張るためにメディカル情報を入れる。
    記憶 短期、作業記憶、長期(陳述と非陳述) 作品から読み取れる記憶を拾う。長期記憶は陳述と非陳述に分類される。
    情報の認知1 感覚情報の捉え方 感覚器官からの情報に注目するため、対象の捉え方が問題になる。例えば、ベースとプロファイルやグループ化または条件反射。
    情報の認知2 記憶と学習 外部からの情報を既存の知識構造に組み込む。その際、未知の情報についてはカテゴリー化する。学習につながるため。記憶の型として、短期、作業記憶、長期(陳述と非陳述)を考える。
    情報の認知3 計画、問題解決、推論 受け取った情報は、計画を立てるときにも役に立つ。目的に応じて問題を分析し、解決策を探っていく。獲得した情報が完全でない場合、推論が必要になる。
    人工知能 感情と伝承 エキスパートシステム 感情は、精神の働きを知情意に分けたときの情的過程全般。伝承は、伝え受け継ぐこと。または、伝えられた事柄。

    花村嘉英(2020)「谷崎純一郎の『盲目物語』の執筆脳について」より

  • 谷崎純一郎の「盲目物語」で執筆脳を考える2

    2 「盲目物語」のLのストーリー

     谷崎純一郎(1886-1965)は、関東大震災(1923)を境にして作風が大きく変化した。それ以前の初期の作品は、美を最高とする芸術至上主義の立場にあり、精神よりも感覚を重視する耽美派に入る。震災以降は、関西移転により日本の風土や伝統を改めて理解したことが古典への関心や歴史小説の執筆に繋がり、谷崎の文学への関わりが大きく変化した。
     「盲目物語」(1931)は、近江の浅井長政(1545-1573)の小谷城に奉公したこともある66歳の盲目の老婆が語り部で、戦国時代を生きた人間の喜怒哀楽や織田信長(1538-1582)の妹で長政に嫁ぎ、信長が朝廷と室町幕府を抑える際に一役かったお市の方の閉ざされた運命が語られる。そのため、購読脳は、「喜怒哀楽と悲運」にする。語り部が盲目なこともあり、原作では平仮名を多く用いている。井上(2010)によると、谷崎の作家人生を通してこうした中期の作品から日本語の伝統に基づいた独自の古典的文体が特徴になる。  
     お市の方は、長政に嫁いだものの、1570年姉川の戦いで朝倉とともに長政が信長に敵対したため、1573年信長が長政を攻め滅ぼし、お市の方も信長のもとに帰る。明智光秀が秀吉に滅ぼされた後、1582年の清洲会議でお市は柴田勝家(1522-1583)と再婚することになる。しかし、信長亡き後もお市の方には悲運が続く。勝家の居城越前北の庄城に移るも、1583年勝家が秀吉に滅ぼされ、お市の方も自害した。  
     こうした物語が盲目の老婆により語られるところは、確かに古典の趣がある。例えば、哀楽の楽しい方の一例でいうと、お市の方の三人の姫君がそれぞれ出世するとは、だれがおもいましたでございましょう、かえすがえすも御運の末はわからぬものでござります、とある。語り部に悲運を語り継がせる作者の気持ちから、執筆脳は「感情と伝承」にする。なお、三人の姫君は、清洲城で織田信包(1543-1614)に養育された。
     「盲目物語」の作風としては、谷崎の抱く感情や意思そしてこころもちが相応しい。また、総じて一文が長い。老婆の語りのためであろうか。そこで、購読脳と執筆脳を合わせたシナジーのメタファーは、「谷崎純一郎と情意」にする。

    花村嘉英(2020)「谷崎純一郎の『盲目物語』の執筆脳について」より

  • 谷崎純一郎の「盲目物語」で執筆脳を考える1

    1 先行研究

     文学分析は、通常、読者による購読脳が問題になる。一方、シナジーのメタファーは、作家の執筆脳を研究するためのマクロに通じる分析方法である。基本のパターンは、まず縦が購読脳で横が執筆脳になるLのイメージを作り、次に、各場面をLに読みながらデータベースを作成し、全体を組の集合体にする。そして最後に、双方の脳の活動をマージするために、脳内の信号のパスを探す、若しくは、脳のエリアの機能を探す。これがミクロとマクロの中間にあるメゾのデータとなり、狭義の意味でシナジーのメタファーが作られる。この段階では、副専攻を増やすことが重要である。 
     執筆脳は、作者が自身で書いているという事実及び作者がメインで伝えようと思っていることに対する定番の読み及びそれに対する共生の読みと定義する。そのため、この小論では、トーマス・マン(1875-1955)、魯迅(1881-1936)、森鴎外(1862-1922)の執筆脳に関する私の著作を先行研究にする。また、これらの著作の中では、それぞれの作家の執筆脳として文体を取り上げ、とりわけ問題解決の場面を分析の対象にしている。さらに、マクロの分析について地球規模とフォーマットのシフトを意識してナディン・ゴーディマ(1923-2014)を加えると、“The Late Bourgeois World”執筆時の脳の活動が意欲と組になることを先行研究に入れておく。
     筆者の持ち場が言語学のため、購読脳の分析の際に、何かしらの言語分析を試みている。例えば、トーマス・マンには構文分析があり、魯迅にはことばの比較がある。そのため、全集の分析に拘る文学の研究者とは、分析のストーリーに違いがある。文学の研究者であれば、全集の中から一つだけシナジーのメタファーのために作品を選び、その理由を述べればよい。なお、Lのストーリーについては、人文と理系が交差するため、機械翻訳などで文体の違いを調節するトレーニングが推奨される。
     メゾのデータを束ねて何やら予測が立てば、言語分析や翻訳そして資格に基づくミクロと医学も含めたリスクや観察の社会論からなるマクロとを合わせて、広義の意味でシナジーのメタファーが作られる。

    花村嘉英(2020)「谷崎純一郎の『盲目物語』の執筆脳について」より